バブル景気とは!

昨日のF1の話題とも同じ時代として関連があり、これまでニュアンスしか理解していなかった、1986年〜1990年代初頭にかけての平成景気(バブル景気)のことも改めて調べてみた。

1980年代初め、日本は対米を中心に輸出が好調で、世界最大の貿易黒字国。
一方の米は、貿易と軍事費による財政赤字「双子の赤字」が深刻化。
更に貿易赤字を補うため、外国からの借入(対外債務)も次第に上昇。
米にとっては、ドル安にして貿易赤字を減らしたいと考えていた。

1985年9月、ニューヨークのプラザホテルでG5(米・英・仏・独・日)が開催。
米の要請を受け、各国はドル安を進める内容に合意(プラザ合意)

合意後、日銀はドル安になるよう外国為替市場に介入し、為替相場をコントロールする協調介入を実施。(具体的には、日銀が持つ大量のドルを売って円に替える)
これにより日本国内では、政府や日銀の想定をはるかに超えるスピードで急激な円高が進行。
プラザ合意時点で1ドル240円台が、1年半後には150円台にまで進む。
日本製品の輸出価格は上昇、輸出産業は打撃を受けて日本経済は不景気に(円高不況)

ドル高是正のためのプラザ合意だったが、あまりにも短期間でドル安になり過ぎ。
1987年2月、パリのルーブル宮殿で開催されたG7(G5に伊・加が追加)では、その状態に歯止めをかけるため、金利を下げて為替を安定させることを合意(ルーブル合意)

しかし、同年10月のNY株式市場で歴史的な株価下落(ブラックマンデー)が起き、更に一段とドル安が進むことに。
同年末には1ドル120円台まで円高ドル安が進行するなど、プラザ合意から2年程でドルの価値は文字通り半減。
同年12月にG7が、これ以上のドル安は好ましくないと緊急声明を出し(クリスマス合意)、これによってドル安は落ち着き、その後数年間は120円台を底とする展開が続くことに。

一方日本国内ではこの円高不況対策として、日銀は低金利政策で公定歩合を下げる。
プラザ合意前は5%だったのを2年後には2.5%にまで下がった。
また、財政支出を増やし大規模な公共投資を行った結果、1987年以降の日本経済は公共投資・消費拡大を中心に内需主導型の大型好況(平成景気)に向かう。

その結果、空前の「カネ余り」が起きる。
企業は資金調達がしやすくなって必要以上の借入をおこなった。
個人も預貯金より資金が増える株や土地などへの投資が活発化。

これらの資金が株式市場になだれ込んで資産価値の上昇が始まり、日経平均株価は1989年12月29日に38,915円の史上最高値を記録。
また、「地価は上がり続ける」という間違った土地神話により、不動産市場にも資金が向かい、異常な地価高騰に繋がった。

これらがバブル景気の大まかな背景。
明日以降は具体的にバブル景気がどんな時代だったかに迫ってみるつもり。